毎月めぐみ保育園より、子どもたちの様子や園長の感じた内容をお届けします。

新年明けまして おめでとうございます。
さて、子ども達にとってどの様な年になるのでしょうか。浮間公園をのんびりと歩く親子連れを見ていても浮間舟渡地域は落着いて地域だと安心しました。今年も、子ども達にとって良い年になるよう頑張らなければと思っております。
本年は皆様のご協力により、めぐみ保育園に父母会が発足することになりました。ご協力感謝いたします。処で、前回の園便りの「父母会のお知らせ」の記事に「子育ては親育て」と書いていました。改めて読み直し、間違いに気付きました。問題は子どもと親とどちらが主体かということです。
「子育ては親育て」の何が誤りなのでしょうか、結論から言えば、子育ては親を育てるためにあるのではなく、子自体が育つために子育てはあります。しかし、その子育ては面白いことに親も育てる力を持っている、そこに子育ての不思議があるのです。
それでは「子育ては親育て」でなければどの様に言えばよいのでしょうか。先述した通り、主体である子どもが育っていくことにより、客体である親が育つ訳ですので「子育ては親育ち」ではないでしょうか。
私は以前、知的障害者の施設に数年間勤めていたことがあります。その時の経験として忘れられないものがあります。
施設に子どもを入所させているご両親とお話をしたときのことです。ご両親は話します「我が子の妊娠を知り、天にも昇る思いで出産を待っていた私たちの耳に入ってきた言葉は、我が子が重度の知的障害を持って生れてきたということでした。」突然地獄に突き落とされたような気持ちになったと言います。しかし、ご両親のお話は突然変わりました。「だけど、私たちにとってこの子が生れてきて良かったんですよ、結局は。」更に、「育てていくうちにこの子がとても可愛くなりました。そして、懸命に生きているこの子を見て、生きることの価値を教わった様な気がします。」と仰っていました。「今では私達も高齢になり、この子と一緒に住むことは難しいけれど、本当は一緒に住みたいと思っています。」との事でした。
子育てによって、親(人)として育てられたと言えないでしょうか。

